歴史・沿革
1877年 8月7日 | 英国国教会の宣教組織、東洋女子教育協会(FES)からの女性宣教師ミス・メアリー・J・オクスラドが大坂日報に女学校開設の広告を出す。 |
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1879年 6月2日 | 大阪川口居留地4番に、ミス・オクスラドが『永生女学校』を開校。 |
1883年 12月12日 | A.W.プール監督が、在日本CMS初代監督として来日。 |
1885年 7月14日 | プール監督、ロンドンにて死去。 |
1888年 12月15日 | CMS宣教師ミス・K・トリストラムが来阪。永生女学校教員となる
明治22年12月27日付 |
1890年 1月13日 | 新校舎に移転。A.Wプール主教を記念し『普溜女学校』と改名。 ミス・トリストラム校長就任。 明治23年6月30日付 |
1917年 12月13日 | 大阪府東成郡鶴橋天王寺村(現在の勝山キャンパス)に校舎・礼拝堂・寄宿舎を移転。 |
1922年 4月1日 | セーラー服を制服として制定。 |
1929年 3月30日 | 文部省によりプール高等女学校の設置認可。プール女学校を廃校とする。 |
1929年 12月2日 | 寄宿舎の一部を礼拝堂に改装。『清心館』とし、落成献堂式を執り行う。
1931(昭和6)年ごろの夏の制服ネクタイは黒、パナマの帽子、ヨークが付いているものとないものがある。 |
1934年 9月21日 | 室戸台風により校舎倒壊。生徒17名が殉死。 |
1936年 6月1日 | 夏制服を水色のワンピースに変更。 |
1940年 10月19日 | 戦時体制下、当局より校名を『聖泉高等女学校』と変更させられる。 |
1945年 6月7日 | 大阪北部大空襲により、勤労動員中の教員1名、生徒6名が殉死。 |
1947年 4月1日 | 校名を『プール学院』と変更。新学制により『プール学院中学校』設置。 |
1948年 4月1日 | 『プール学院高等学校』設置 |
1950年 3月14日 | プール学院短期大学開学。 |
1979年 10月16日 | プール学院創立100周年記念式典を、フェスティバルホールで挙行。
フェスティバルホールで行われた創立100周年記念礼拝でハイドン作曲「天地創造」-み空は語る神の栄光-を合唱する高等学校3年生。指揮は興津先生。 |
1980年 1月29日 | 清心館にパイプオルガン設置。 |
1982年 4月1日 | 短期大学を堺市泉ヶ丘キャンパスに移転。 |
1996年 4月1日 | プール学院大学(男女共学)を開学。 |
2000年 4月3日 | プール学院大学大学院開学 |
2006年 | 勝山キャンパス第1期完成。 |
2007年 | 勝山キャンパス第2期完成。 |
2014年 12月17日 | 創立135周年記念クリスマス礼拝、フェスティバルホールで挙行 |
2017年 3月31日 | プール学院大学大学院閉学 |
2018年 4月1日 | プール学院大学の設置者を学校法人桃山学院に変更し 桃山学院教育大学としてスタート |
2021年 3月31日 | プール学院短期大学閉学 |